指が月をさすとき、愚者は指を見る-世界の名科白50 四方田犬彦

Amazonにて購入の一冊。

お父さんが死んで、わたし悲しいわ

花田清輝


花田清輝が”もっとも滑稽な科白”として例に挙げたこの「名科白」。
悲しいとき、「悲しい」と言ってしまうことが滑稽なら、ではその悲しみをどのように他の人に伝えるか。
その戸惑いこそが文学の始まりなのではないか、ということを四方田さんは書いている。

文学とは表現することではない。表現できないものを前にした戸惑いである。花田清輝という人は、たぶんこうしたパラドックスに、早くから気づいていた人ではなかったかと、今のわたしは考えています。

悪魔の詩 サルマン・ラシュディ

今年の目標のひとつに、あんまり節操なく本を買わないこと、というのをたててみた。


あっ、おもしろそうと思ったら買ってしまい、あっこれ欲しかったんだというのを見つけたら買ってしまう。そして読みはじめてしまう。読んだら読みっぱなしにしてしまう。
ちゃんと筋道だてて本を選んだりしないので、そのへんも問題。
それは、私が本を読んだり研究したりする職業ではないから許されるのだけど、まてよ、そうやってずるずるやってきた結果、私は本を読んだり研究したりする職業につくことができなかったんじゃないか、というあたりまえなことに気がついてしまった。
自分が知り得たことを他の事柄に結び付ける能力や、考えたことをきちんとまとめる能力に欠けるのもきっとこの無節操な本買いの習慣のせいなんだ。きっとそうだ。もう絶対そうだ。


と、決意した矢先に買ってしまいました。

悪魔の詩 上

悪魔の詩 上

悪魔の詩 下

悪魔の詩 下


本当に、読む気あんのかこんな本!と自分自身に問いつつレジへ。
もうだめだ、私は本が好きなただの人として生きていくしかない(読書家、とかでもない)。