ヘウレーカ 岩明均

ヘウレーカ (ジェッツコミックス)

ヘウレーカ (ジェッツコミックス)

先日オープンした「BASARA BOOKS」にて買い求めた。


現在連載中の「ヒストリエ」に先駆けて描かれた、古代ローマ世界を舞台にした中編(か?)漫画。
岩明均は一貫して集団の中のアウトサイダーを描き続けてきた。
「風子のいる店」ではコンプレックスから学校で疎外感を感じている少女が、学校以外の社会と交わることで成長していく物語だった。
寄生獣」では宇宙生物に寄生された少年が、「七夕の国」では超能力者となった男子大学生が、アウトサイダーとして自分の生きる社会を見つめ葛藤しながら、しかしその社会で生きることを選択する物語だった。
とくに「七夕の国」は本作「ヘウレーカ」と類似する点がおおい。
「七夕の国」の主人公南丸は、対立するふたつの勢力のはざまにたち、そのどちらにも属さない。どちらのグループも彼のルーツではあるのだが、彼は自分の生きる場所を生まれ育ったフツーの社会の中に求める。一度得た超能力も、彼は封印してしまう。能力を行使しない、という選択をすることで、彼は彼らしく生きていくことができるのだ。
本作の主人公ダミッポス青年は、スパルタ人である。ローマ・カルタゴ間の戦争を、シラクサに滞在する異邦人として眺めている。
彼もまたアルキメデスやマルケルス将軍に認められるほどの才覚を持ちながら、それをいかす道は選ばない。南丸のように、自らの能力を封印してしまうのである。彼はローマにもカルタゴにも与せず、シラクサに留まることもなく、故郷スパルタへと帰っていく。
歴史の表舞台に登場することなく退場していくアウトサイダーの姿は、素朴で、威厳に満ちている。
ラスト近くのコマでのダミッポスの台詞。
「あんたらはすげえよ」
「でももっと......他にやる事ァないのか?」


例えばふたつの立場があって両者の間に争いがあるとき、そのどちらでもない立場を選ぶこと、争わないという選択をすること、それを支えるものとはなんだろう。南丸やダミッポスの場合、それはアウトサイダーとしての視点であるようにおもわれるが、それはどのようにして成り立っているのか。
あるいは彼らが自分の世界に戻ってアウトサイダーではなくなった時(アウトサイダーでいられない時)、そこではどんなことが起こるのか。ダミッポスのいう<他にやる事>とはなんだろう。
…そんなことを考えた。
連載中の「ヒストリエ」がどんな物語になるのか、俄然楽しみになってきた。