今日、職場でお喋りしていて、あっ、と思ったことがあった。
よくお喋りするIさんが面白いことを仰っていた。
「むかし『一杯のかけそば』っていうのが流行って、そのあとにバブルになった。今も景気が回復してきているようだけど、もし今度バブルが起こったらわれわれは耐えられないだろうね。」


Iさんのなかでは『一杯のかけそば』に代表されるようなわかりやすいヒューマンドラマが流行るのと、バブルという経済の動きとが、関係を持っていることになっている。
そしてIさんがいいたいのは、今景気回復の兆しが見えているのはかつてのバブルの感触と近くて、だからこれからかつての『一杯のかけそば』みたいなものがもてはやされる時がくるかもしれない、そうしたら本当にまたバブルになっちゃうかもね、ということなのかなと思い、
「『世界の中心で、愛をさけぶ』とか、もうそういう感じですよね。またバブルになるんですかねぇ。」
と言ってみた。
するとIさんがちょっと「え?」という顔だったので、
「『世界の中心で…』って、誰でも気軽に感動できるというか、そんなかんじですよね。何かを見て感動するためには見ているこっちが少し努力することが必要だと思うんですけど、『世界の中心で…』なんかは、画面の前に座っていればいいだけっていうか、何の努力もなしに感動できるようなつくりだと思うんですよね。」
というと、Iさんが
「昔は映画ってもっとこっちに考えさせる、わからないものだったんだけどね。」
というようなことを仰った。
それから仕事が忙しくなったので、話はそれきりになったのだが、1月に書いた『世界の中心で、愛をさけぶ』への感想(http://d.hatena.ne.jp/kathy_t/20060109)でうまく書けなかったことが、今日のIさんとのお喋りで具体的に書けるような気がしてきた。のだが、今日は眠いのでまた今度かく。