コイサンマン・キョンシーアフリカへ行く(非洲和尚)


1991年/香港


なぜかDVD化されていないようで、Amazonでもこの作品の情報を探すことができなかった。


脱力系の面白い映画があるよ、とビデオをかしてくれた人がいて、そうでもなければ私は一生この映画を見ることはなかったかもしれない。感謝。

英国のオークションで、先祖のミイラ(キョンシー)を競り落とした青年サムと、彼に雇われた道士。
しかしキョンシーを香港へ運ぶ途中、乗っていたヘリが墜落。
彼らがたどり着いた場所はアフリカ、映画『コイサンマン』で有名なニカウさんの住むコイサン族の村だった。
コイサン族に神様として慕われるキョンシー
サムと道士もニカウさんとの交流を深めるが、香港へ向かうため、キョンシーとともに村を去ることになった。
別れを惜しむニカウさんとキョンシー、そして道士。
ところが、ニカウさんに別れを告げようとするまさにその時、強欲な欧米人が村を襲う。コイサン族の村には、ダイヤの原石が豊富にあったのだ。
ニカウさんと道士は力を合わせて欧米人と戦うことに。
欧米人はコイサン族とは別のアフリカ原住民一族を手下にし、ゾビンガーZなるアフリカ盤キョンシーをあやつって攻撃。
村人のため必死に戦うキョンシー
そして道士は、なんとブルース・リーの霊をニカウさんにのりうつらせる。
ブルース・リーさながら(のりうつっているからあたりまえか)のカンフーアクションで敵をなぎ倒していくニカウさん。
二人の活躍で、無事敵を撃退することに成功する。
道士は自らの道着とキョンシーの衣服をコイサン族に贈り、ニカウさんはダイヤの原石をサムと道士に贈った。
かくして、キョンシーと道士、サムの三人は、コイサン族との思い出を胸に香港へと帰っていった…。

これは壮大なコメディ、というより、馬鹿馬鹿しさにもほどがある。と笑ってしまう映画なのだが、どうしてニカウさんなの、どうしてキョンシーなの、ということを考えてみると、わりと納得のゆく答えにたどりつく。
というのは、ニカウさんのアフリカも、キョンシーを生んだ香港も、欧米列強による植民地化、搾取の憂き目にあってきた。あいつら酷いよな、ヨシ、二人で力を合わせて欧米人をやっつけちゃおう、言いたいこと言っちゃおう、これはそういう映画なのではないだろうか。
たとえばそれは、ブルース・リーの霊がニカウさんにのりうつって欧米人(の手先)をやっつける、なんていう見ている者を唖然とさせるシーンに象徴される。作り手にとってはかなり爽快な場面だったに違いない、と想像する。
欧米人が現地の他の部族を手なずけて攻撃してくるという設定にはシニカルな視線を感じるし、ことあるごとにサムの話す<英語>に文句をいう道士の態度は、植民都市(だった)香港の事情を現していると見ることができる。
しかし植民地化や搾取の歴史といった深刻な問題がこの映画のオモテの顔になっているかというと全然そうではなくて、むしろそうしたことのいっさいが馬鹿馬鹿しいコメディの要素によって覆われてしまっている。
そして、そのように笑いによって覆われているまさにそのことが、自らの境遇を笑いの中に描くことのできる香港映画のしぶとさ、頼もしさにもおもわれて、私はこの映画の馬鹿馬鹿しさに脱力しながらも、その朗らかな力に感服したのだった。
この映画を『コイサンマン』シリーズとしてみるか、『霊幻道士』シリーズとしてみるか、についてはおそらく前者が正しいのであろうけれど、私はそのどちらでもない、香港映画だと思う。