■前回日記を書いてから今日までの間に、法事、パーティー、送別会、いろんなことをした。
1年前のちょうど今ごろ、わたしは自分に<1年後>がやってくるのかどうかもわからなかった。来ないような気がしていた。
子供のころ祖母に聞いた、因幡の白ウサギの話を思いだしていた。
わたしはあの白ウサギになったんだ、とずっと思っていた。


■29日は朝日カルチャーセンターで内田樹さんと釈徹宗さんの漫才形式の講議「現代霊性論」。
内田さんのことを、スマートな編集者っぽい感じの人じゃないかな、と想像して行ったけれど、実際はお喋り好きの社長という印象だった。
釈さんは思ったよりずっと若くて、スーツを着ていなかったら、インドとかに行くのが好きなバックパッカーみたいな感じの方。
良いお話。
蛇口から言葉が出てくる話、しゃべれない(らない)大切さの話、時間のつながりの話。
今は亡くなった人の顔をケイタイのカメラで撮影する人もいるらしい。信じられない。
「香港の猫の祟りの話とその後日談」を聞けなかったのが残念。
内田さん、釈さんがお店の常連だったら良いのに。そしてカウンターでこんな話をしていたら良いのに。などと勝手なことを考えて(希望して)しまう。


■仕事に行く途中で、ふっと知っている、なつかしい匂いを嗅いで、立ち止まる。
この匂いを私は知っているぞ、と思って目をやったら、梅干しが干してあった。すっぱく、蒸れたような、あのシソの匂い。
婆ちゃんが竹のざるに一杯に広げて干していた。トタン屋根の上、庭の水場のコンクリの上。


武田百合子富士日記』はとうとう下巻まで全部読んだ。 
この本を読みはじめてからずっと、楽しかった。
あんまりさみしくなくなった。


ゴーヤチャンプルーをつくったら苦すぎてギブ!!
ゴーヤをとりのぞいて、豚肉ととうふと卵のいためもの、を食べる。
ゴーヤをまるまる一本使ったのが敗因らしい。


■何年か前に母が買ってくれた浴衣にそでを通す。
着て汚したりしたらもったいない、と思って、ずっと仕舞っていたのだけど、着ないともっともったいないのではないか、と思って。
おはしょりの始末がむずかしくて手間取る。
帯は貝の口という結び方に挑戦する。
けっこううまく着れた!これからは着物だな!