タッチ・オブ・スパイス

1960年代、トルコ。
キプロス問題を発端にギリシャとの関係が悪化したトルコでは、ギリシャ人強制退去の命が下った。

イスタンブールでスパイス店を営む祖父のもと、料理、天文学の世界に魅せられていた少年ファニス。
彼もまた、ギリシャ国籍をもつ父とともにアテネへ移住することになる。
大好きな祖父、幼馴染みの少女サイメとの別れは、ファニスにとって辛く悲しいものだった。

やがて成長し、天文学者となったファニスのもとに、祖父がイスタンブールからやって来るとの知らせが。
ファニスの中で止まっていた時間が動きだそうとしていた。


だれにでも、ここだけは失うわけにいかないという、そういうポイントがあると思う。
それは人であったり場所であったり時間であったりするわけだけれど、少年ファニスとその祖父にとって、それはイスタンブールだった。


もし大事なものを失ってしまったとしても、それでも人はなんとか進んでいくことができる。
その過程にはユーモアもあるし、充実もあるだろう。
しかしそこには決定的な何かが欠けてしまうのだ。


ファニスは天文学者になることはできたが、料理人になることはかなわなかった。
それは彼が、人生における決定的なスパイスを失ってしまったことを示唆しているように思われる。


この映画は本国ギリシャで大ヒットしたという。
多くのトルコ系ギリシャの人々が、自らの失ったもの、取りかえすことのできないものを思いながらこのフィルムを観たのだろうか。
乾ききったスパイスの手触りを確かめるようになぞっていく、ファニスの姿が思い起こされる。