デッドマン

デッドマン [DVD]

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監督・脚本: ジム・ジャームッシュ
音楽: ニール・ヤング
出演: ジョニー・デップ/ゲーリー・ファーマー/ジョン・ハート/ロバート・ミッチャム/ミル・アヴィタル/イギー・ポップ

1995年/米


【本日はかなりのネタバレなので注意】


これを見て頭に浮かんだ作品が3つある。


ひとつは言うまでもなく、1984年のジャームッシュの作品「ストレンジャー・ザン・パラダイス」。

ジョニー・デップ演じるウィリアム・ブレイクの故郷はクリーブランドエリー湖付近。
ストレンジャー…」の舞台のひとつとなった地だ。
ニューヨーク、クリーブランド、そしてフロリダへの旅を描いた「ストレンジャー…」が、頼りないながらも生きることを求める映画だとしたら、本作はクリーブランドから死へ向かう旅を描いた、もうひとつの物語ではないだろうか。
(画家で詩人の)ウィリアム・ブレイクの詩の引用からも、本作が死をテーマにしたものであること、それも祝福された生からではなく、呪われた生から向かう死を写し出そうとしていることが読み取れる。
ジョニー・デップ演じる)ウィリアム・ブレイクも、物語の後半では自分が呪われた生を生きていることを自覚している。


もうひとつは「カッコーの巣の上で」。

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「カッコー…」でジャック・ニコルソンが演じたマクマーフィと、インディアンのチーフ。
この二人の関係は、本作のウィリアム・ブレイクと、インディアンのノーボディの関係に似ている。
チーフは、廃人同様となることで<社会に適合した人間>にさせられたマクマーフィを自らの手で殺めた後、外へ向かって飛び出していく。
それは「カッコー…」の中でとりわけ悲しく、しかしひとすじの希望を感じさせるすばらしいシーンなのだが、本作のラストシーンもこれに似ている。
ただし、ブレイクが魂の帰る場所へと静かに漕ぎだしていき、ノーボディが殺し屋にあっけなく撃たれるという点では、「カッコー…」での二人とは立場(役割と言ったほうがいいか)が逆転していると言っていい。
「カッコー…」でささやかな光を見い出すことのできたこのシーンは、本作においては死へ向かう静かな時の流れを写し出すものになっている。
ノーボディに「自分の生まれたところへ戻るのだ」と告げられたブレイクが「クリーブランドに?」と聞き返す場面は、呪われた生を生きる者の健気さに切ない思いがする。


最後のひとつは、自分でもちょっと考えすぎかと思うが、「北斗の拳」。

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この漫画で有名なのは、なんといっても「お前はもう死んでいる」というケンシロウのキメ台詞だ。
ケンシロウに秘孔を突かれた悪党は、ややあってから「ひでぶ〜〜〜」となる。
ノーボディに「デッドマン」と呼ばれたブレイクは、僕はまだ死んじゃいない、生きている、という。
しかし、ノーボディにはブレイクがすでに死へ向かっていることがわかっている。
さすがにブレイクは「ひでぶ〜〜〜」とは言わないのだけれど、そしてその時間差もぐっと引き延ばされてはいるのだけれど、致命傷を受けてから時間をおいて死に至るということでは、その通りではないか。
冒頭でブレイクが訪れるマシーンの街の荒廃ぶりも、北斗の拳の舞台となる199X年の街の様子とよく似ている。
とはいえ、こうした設定は「北斗の拳」に限ったものでもないだろうから、そのへんは自信が持てないのだが。
Wikipediaで確認したところ、「北斗の拳」は「マッドマックス2」(1981、オーストラリア)の影響を強く受けているとあった。
(該当ページ→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%97%E3%81%AE%E6%8B%B3
ジャームッシュは日本によく通じていて、「ゴースト・ドッグ」では葉隠を引用しているし、日本人俳優を起用した作品もあるから、「北斗の拳」も知っているんじゃないかな、と思ったのだが、どうだろう。
やっぱり考えすぎですか。


あ、あと、ジョニー・デップが「チャーリーとチョコレート工場」まんまの見た目なのも、わりと気になった。