■何かに憑かれたかのように掃除、そして不要品を処分。
昨年後半から「そうじ力」だの「風水お掃除術」だのを読んでは掃除に精を出しているのだけど、それはすべて、運気をあげて幸せになるためにやっているのである。
近ごろわたしの部屋はとても片付いて、居心地がよくなった。
それはとてもよいことだと思うのだが、運気が上がって幸せになったかというと、そうでもない。
たぶんこれから上がるだろう。そして幸せになるだろう。と思い込みながら床掃除。


■物置きにしているロフトから、ひさびさに自分のギターを下ろしてみる。そしてもちろん弾いてみる。
指先が痛い。そしてそちろんその痛さが心地よさ。


■10年ぶりに旧友と再会。
とても楽しくて良い気分。
10年前の話と、今の話をして、全部楽しかった。
10年の時間をすっとばして楽しかった、というのとは違う。
わたしたちはたぶん、お互いの10年にすこし手を差し伸べあったのだ。


■古本屋で姓名判断の本を立ち読み。
わたしの名前によると、わたしは、自分の欲望のままにふるまってほかをかえりみないように生きていれば、望むもの全てが手に入るそうである。
そのさい、他人から誹られ、疎まれるのは、しかたがないことだそうである。
そんなことまでしなければ望むものを手に入れられないわたしの人生って、不幸である。
それに問題は、わたしは他人に誹られず、疎まれず、できれば仲良くして、この一生を終えるのが望みなのであるが、いったいどうすればいいのか。
何を望むべきなのか、望まないべきなのか。なんなのか。
占いなんてきらいだ。


■そうはいっても、行き詰まりを感じたときに占いに頼ってしまうのが乙女心。
昨年、占い師に見てもらった。
わたしの生年月日と名前と手相から判断すると、わたしは、淫乱だそうである。
先日、タロット占いをした。
死神のカードが出た。
占いなんてきらいだ。


■悪い星のもとに生まれ、よくない名前をつけられ、貧弱な手相を持つ、淫乱なわたしは、とにかく掃除をして運気をあげなければならない。
これからもうひと働き。

■もう3月になった。
わたしのパソコンはホコリをかぶっている。
今年になってから、ほとんどさわっていない。


■昨年末からずっと、酒と、うまいものの日々である。
仕事帰りにまず一杯のビールでノドをうるおしたら、お次は日本酒とモツ煮で。くし焼き、刺身、おひたしなどで二合、三合とお酒をすすめて、シメにウイスキー
こんなにおいしいものばかりでぜいたくして、罰があたるんじゃなかろうか。
昨年は日本酒に目覚めて親しんだ一年だった。今年はウイスキーを味わえるようになるのが目標。


幸田文の本をいくつか読む。
『月の塵』というのが、わたしは好きだ。
わたしの田舎で、冬、太陽もぼんやりとしか見えないような厚い雲に覆われたうすいねずみ色の空から、はらりはらりと雪が落ちてくる様子を、わたしは思いだす。
もし月に塵がふりつもるということがあるとして、それはたぶん、あんな景色になるんじゃないかと思う。


■勢いあまって、自分でモツ煮を煮だしたわたしである。
おいしいモツ煮、まあまあのモツ煮、いけすかないモツ煮、いろいろ食べた上でつくるのである。
おいしいのをつくらなければ。
しかしすごい匂い。
わたしの苦手な、あのトンコツの匂い。
それにもめげず、わたしはモツを煮るのであった。
食欲(モツ欲、酒欲)の勝利。
なんか、うまいのできそう。仕上げはネギと一味でね!

■一週間ぐらい、まったくパソコンをさわらずにおれるものだろうか。
実験してみたところ、一週間どころか一ケ月ぐらいは平気そうである。
じゃあ、もう、いらないんじゃ?!


■私はロッシャに行きたい。シベリア鉄道に乗りたい。
これまでほとんど一度も、積極的に旅行したいと思ったことはなかったのに、ロッシャのシベリア鉄道にだけはどうしても乗りたい。
生まれてはじめて本屋の『地球の歩き方』コーナーに行く。

■ここ2週間ほど、私は酒も飲まず、せっせとご飯をつくって食べて、部屋を掃除して、運をあげようとがんばっている。


■本屋に平積みしてある文庫本で、ドキッとするのがあった。
『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』!!!あさはか!!そしてあざやか!!
えーっ、ばかみたい、と軽蔑する気持ちが9割。
知り合いに見つからないよう細心の注意を払ってこの本をレジに持っていって、レジの若い男の子に顔を覚えられないようにできるだけ存在感を消してお金を払って、部屋でこっそり熟読して、読み終わったら本棚には置かないでクローゼットの奥深くにしまっておくようにすれば大丈夫だし、私は愛に餓えたりしてないしお金も必要最低限あればいいって常々思っているけど、もしこれを読むだけで愛されてお金持ちになることができるんだったら儲けものだし、愛されたいしお金持ちになりたいし、という気持ちが1割。
4日ほど毎日、その本の前をうろうろするが、手にとってみる勇気出ず。


■今年は早々と取り組みはじめた編み物。指なし手袋ひとつ、ミトンふたつ、一昨年から編みかけだったマフラーひとつが完成。まだまだ編むぞ。


探偵ナイトスクープの総集編ビデオというのがあるらしい。それはものすごくおもしろいらしい。

■酒を飲む日が続く。畏まったり、気楽にしたり、威張ったり、優しくなったり、怒られたりしながら飲む。どの酒もおいしい。酒は偉大だ。


■ものもらいができた。まぶたの裏に、脂がたまっているそうだ。点眼薬で改善しない場合は、ナイフで切って脂を出すそうである。「それは、痛いのですか」と先生に聞いたら「痛いです」と仰った。痛いのだそうだ。
その話を職場の人たちにしているが、あまり同情してもらえない。


■居酒屋で飲みながら「『3日で運がよくなるそうじ力』と、『風水お掃除術』と、『インテリア風水術』を読んでいます。」と話したら、相手の方に「大丈夫かよ」と怒られた。怒られる筋合いではないと思うし、私は大丈夫なのだが、怒られグセがついてしまっているので、おとなしく怒られていた。私はその日、メガネをかけている(普段はコンタクトなのに)という理由でも怒られた。
くやしい。そうして怒られたやりきれなさを、ここで書いたりせず、その場で反論できるようになりたい。


■「あなただから話すんだよ」と、何か告白したり、相談したりしてくる、そういう人と飲んでいるとうれしい。
そんなふうに思って話してくれてうれしいよ、という気持ちを、ここで書いたりせず、その場で伝えられるようになりたい。


■幸せな夢を見た。
夢のなかで私はとても大切にされていて、なにもかも楽しくて、仕事に遅刻しそうになっていた。
お掃除術と、インテリア風水を実行した結果の幸せが、すべてその夢のために費やされてしまったような気がする。


■駅のエスカレーターで、急に死んだ婆ちゃんのことを思いだした。
婆ちゃんの戒名は「釈尼常照」といって、これは、たとえ私(たち)が婆ちゃんのことを忘れているときでも、婆ちゃんは常に私(たち)のことを照らし、見守ってくれていますよ、という、ありがたい名前なのだ。坊さんが言っていた。
そのことを思いだした。
私が酒ばっかり飲んで、あとはせいぜい掃除に精をだして、そんなふうにして婆ちゃんのことをすっかり忘れている間も、婆ちゃんは常に照らしていてくれてるんだ。ありがたい、ありがたい。

■携帯電話をなくしてしまったので、ひとまず実家の母に電話して「ケイタイなくしたから、急用は家か、職場の電話にして!!」と言ったら、母が「ケイタイの会社に連絡して電話を止めて、なくしたところの近くの交番に落とし物届けをして、駅にも連絡しなさい!」と的確な指示を出したので、スゴイと思い、すぐに携帯電話を使用停止にした。交番と駅には次の日に届けようと思って、押し入れからふとんを出して寝る準備をしたら、ふとんの中からごろんと携帯電話が出てきた。あまりのことにぼんやりした。


■携帯電話がすぐに見つかったことを母に言えなくて、一日おいてから連絡。ことのてん末を正直に告白した。
母のほうは、その夜、私に連絡をとろうとして、間違えて祖母に電話してしまい、夜中に就寝中の84歳を叩き起こしてしまったことを正直に告白した。


■ゴーヤをいただいた。ゴーヤチャンプルーでは失敗ばかりしているので、今度こそは失敗してはいけない、何しろ頂き物だから、と思って、あらためてゴーヤチャンプルーの作り方をしっかり調べる。
大事なのは苦味の抜きかた。塩で揉み、水にさらす。それはいつもやっているのだけど、いつも苦すぎてしまうのだ。
あるサイトに「いちばん最初にゴーヤを、炒めすぎかな、と思うぐらいしっかり炒める」と書いてあった。これだ!
いただいたゴーヤの種とわたをしっかりとって、塩で揉み、水にさらし、いちばん最初に炒めすぎかなと思うぐらいしっかり炒めてみたら、おいしいゴーヤチャンプルーになった。やった!やったぞ!


■テレビで、空を飛ぶのが好きな犬というのを紹介していた。
御主人様にしっかりだっこされて、ハングライダーで空を飛んでいた。
その犬の名前は平和(ピンフ)というのだ。


■街なかで、ショウウィンドウに映った自分の姿を見たら、ものすごく地味で、あわれをもよおした。

■私がよく行く八百屋では、夕方になると、松茸を¥500で売っていることがある。もとの値段は¥800。親指ほどの大きさのもの(ころ松茸というらしい)が十数個。
ものは試し、と買ってみる。松茸ご飯を炊く。けっこういける。でも香りがどこか人工的だ。


■新物の里芋を買って含め煮にする。もっちりねっとり。ひと袋分、2回の食事で食べきってしまう。


■最近は掃除と、食べ物のことばっかり考えている。